自分にとって”当たり前”のことこそ武器

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語れるのは自分にとって”当たり前”のこと

”当たり前”のことこそ自分のノウハウであり、自分の武器とすべきである。
「ノウハウ」というと、つい特殊なことに目が行きがちだ。
と同時に、当たり前のことを卑下してしまう。

何かを語るときに
特殊なこと>当たり前のこと
という不等式が勝手に生成されていないだろうか。

こんなこと語っても・・・に価値がある

「当たり前のこと」というのはいわば”経験知”の部分だ。
「こんなことわざわざ言わなくてもわかってるだろう」
という部分である。

「わかっているだろう」と思うから、からわざわざ言葉にされない。
情報化されず、ブラックボックス化しやすい部分なのである。

伝える側からすれば、「情報としての価値がない」と思いこんでいる部分でもある。
結局、盗むことでしか得られないため、不合理や非効率を生んでいるとも言える。

逆にそういった部分をきちんとした情報として提供すれば、それが価値を帯びてくる可能性がある。
自分にとって当たり前で、
「こんなこと誰でも知っているだろうな・・・」
「いまさらこんなこと語ってもな・・・」
「全然たいしたことない」
と思い込んでいることに、値千金の価値があるかもしれない。 

当たり前のことをわざわざ語らないのは常

「当たり前のこと」が語られないというのは何も今に限った話ではない。
少したとえのスケールが大きくなってしまうが、「安土城の命名について」の話を書きたい。

織田信長は「安土」という名前に、実は強烈な意思を込めていた 、という話。
それは「平安京」に対する対抗意識であり、安土こそが平安京に取って代わるという意識の表れだったという話である。

平安京の名前の由来は「平安楽土」
よくみると安土がかくれている。

そして、当時の知識階級にはこのことは自明の理だったが、当たり前すぎて誰も言葉にして語らなかった。
そのため、信長が単にもともとあった「安土」という地名をとってつけただけ、という説だけがまかり通っている、と 。

この話は井沢元彦著「逆説の日本史」第1巻の、しかも序論に書かれている。1巻は古代史から始まるにもかかわらず、信長のこの話から始まっているということは、この
「当たり前のことが語られない」
ことを著者がいかに重要視しているかを物語っている。

また、本能寺の変があった日は闇夜だったかどうか。
天正10年6月1日は、1日=ついたち=朔日。
太陰暦で言えば1日はすべて「新月」。闇夜だということは常識であって、わざわざ語らないのである。

 

このように、普段の生活で当たり前のことは記録しない。
日記でもイレギュラーなことを中心に書きがちだが、時間が経てば立つほど”当たり前”の記憶は薄れ、”当たり前”のことが価値を帯びてくる。

高校生の時、毎朝何時に起きて、1時間目の授業は何時に始まっていただろう?
何曜日はどんなTVをみて、何時に風呂に入って何時に寝ていただろう?
自分が高校生の当時は当たり前だったこんなこと。
記録がなければすべて忘れ去られる。 

日常生活でも仕事でも、「当たり前のこと」は情報になっていないのである。 

セミナーでも当たり前のことを語ります

さて2017年6月28日に東京で実施する「法人メイン税理士のための相続セミナー」。
ここでは、
実務書には載っていない(あえて書く必要のない)
ような、相続税理士が「当たり前」と思ってしまっていることをあえて語りますよ。

詳しくはこちら↓をどうぞ!(最後は告知でしたー!)
締め切りました!